とっくに発売している80号の特集では「エジプト系タロットの歴史」について書いてます。読まれた方はありがとうございますです。日本のエジプトタロットについての認識が変わってくれたらいいなと思う次第です。というのも「クールドジェブランという変わった人がエジプト=タロット起源を打ち出したせいで、エジプトはもとよりタロットの認識を間違えることになった。ロゼッタ・ストーンがもっと早く解読できていれば、こんなことなかったのになあ」みたいな内容で書かれていることが多いのです。そのせいか、エジプトタロットは亜流にみられ、ジェブランの説を受けてつくられたエテイラのタロットは評価が低かったりします。
でも違うんだよ!
エジプト系タロットはフランスだから生まれた、
文化や政治的な背景があるんだよ!!
ということを私は声を上げて言いたかったのです。今回6Pに渡りご紹介してたりします。
いままでの政治に不満を持っていたフランス国民たちが、啓蒙思想を理由にキリスト教よりも古いエジプト神こそ崇めようと持ち出し、エジプト熱というブームが起きます。そのなかでパリはイシスの街だとクールドジェブランが唱えるのですが・・・ジェブランが元祖というわけではないんですよ。歴史を見ると16世紀ぐらいからパリはイシスの街説ってのはあったりして、イシスの面影が観られる場所のガイドマップもつくられ、もてはやされたようです。その背景には、キリスト教は国境だから崇めなさいと言われても、反発したい方っているのは当たり前で、表立って批判すると処刑されるのでキリスト神話に似ていて歴史も古いエジプト神を持ちだしてカモフラージュしたわけです。時々、都市伝説系の方から「キリスト教はエジプト神話が実はベースになっている」という話をききますが、それはテレビの見過ぎですのでご注意を。
政治犯が収容されているバスティーユ監獄の襲撃に成功すると、1792年に「蘇生の泉」という巨大エジプト神のオブジェができるのです。このオブジェがいまでもあるかというとあっというまに撤去されてしまいます。なぜか? 突貫で作ったハリボテだったのですぐ壊れてしまったようです。本来ならば「蘇生の泉」の像の絵を挿絵に出せばあのページも引き立つところでしたが、この像、ちょっと下品なんですねw なので挿絵にするのを辞めたのです。興味のある方はぐぐってみてね!
そんな巨像が壊れたのち、像のモニュメントを作ろうとしたようですが、この計画も挫折。現在もある、自由の天使の像が上部に作られた革命記念碑となったのです。
革命で、王宮だったルーブルは美術館になり、1826年エジプト部門ができると、ロゼッタ・ストーンから古代エジプト文字を解読した天才シャンポリオンが責任者となります。
宮殿を美術館にしようという発想が、さすがヨーロッパだと思いました。日本では出ない発想だなあと。